奈良廃村紀行3 廃村・中津川を訪ねて

廃村を訪ねるということ

山奥の僻地であってもかつてここには文化があり、人々が何代にも渡って暮らしていた。廃村になった今よそ者が訪れるのは、この地を愛する人達からすると良くは思われないだろう。しかし確かに人々がここで暮らし、賑わいを見せた時代があったという証を知りたい思いに駆られるのだ。

15:38 野迫川村大字中津川

車を降りてから歩くこと約15分。木造の建物が見えてきた。廃村である。

この日、車で訪れるのもヒヤヒヤ(本当はワクワク)したほど山奥の僻地に位置するこの集落だが、歴史は古く平安時代の文書で中津川の地名が既に出現している。往時は賑わいを見せたが昭和30~40年代から過疎化が進み、昭和末期~平成の始め頃に集落の人々が離村して(資料によって時期が異なるため調査中)今に至る。往時の詳細については後の資料編で。

中津川小学校跡

中津川小学校が開校したのは明治20年。規模は小さいが村立の小学校である。校舎の建て替えがあったかどうかは不明だが、木造で今なお残っているのは凄い。開校から82年間、昭和44年(1969年)4月に休校となるまで、集落の児童達は皆ここに通った。しかし後に再び開校することはなく1997年に閉校となった。

窓には木張りがされている。またいつか使えるようにしているのだろうか。

扉の隙間から見える範囲で中を覗いてみる。(侵入していません)

訪問当時は事前知識に乏しかったので、内部を見たこの時に初めて小学校跡だと分かった。
備品が散乱して荒れている。自然か人為的かは分からないが、せめて自然に因るものであってほしい。

教室にカメラを向けてみる。中は真っ暗だ。

壁に書かれていたのは母校を訪ねた卒業生の想いだった。

小学校脇には真っ暗な小屋があった。

小学校を後にし、もっと奥の方へ進んでみる。

この投稿へのコメント

  1. こうじ said on 2015年4月29日 at 1:37 PM

    僕のいなかです。小さな頃は車の通る道もなくしたから歩いて登りましたよ。毎年5月にお祭りがあるので行きますがそれ以外は帰ることは無いですね

    • 斉藤ユタカ said on 2015年5月3日 at 3:35 AM

      こうじ様

      廃墟部の斉藤です。
      中津川ご出身の方からご感想を頂けるとは誠に光栄です。ありがとうございます。
      私が廃墟部で中津川に訪問したのはもう7年前になりますが、現地の静かな情景を今も忘れられずにいます。
      また、毎年奈良県南部で豪雨がある度に、この集落がどうなっているのかふと思うことがあります。

      集落までの車道は無かったのですね。
      言われてみれば、道の開通を記した村長(?)の石碑が道の途中にあり、
      日付がそれほど昔ではなかったことを思い出しました。

      毎年集落でお祭りが行われているのですか!
      お墓参りなどで、きっと個人的に帰郷されているのだろうと想像していたので驚きです。
      今もあの場所が賑わうことがあるというという事実に驚くと同時に、心を打たれました。

      今年もそろそろお祭りですね。
      よそ者がこのようなことを申し上げるのも恐縮ですが、
      今年のお祭りも上手くいくことをお祈り申し上げます。

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