奈良廃村紀行3 廃村・中津川を訪ねて

廃屋があった。

遠目に見てもめちゃめちゃだったが、近付いてみるとむごい事態になっていた。もはや災害跡にも見えて生々しい。実際この地域は台風や豪雨の被害がたびたび発生している地域である。近くの十津川村に至っては明治の大水害で壊滅し、600戸・2489人の村人が北海道へ集団移転している(新十津川町)。なおこの旅から3年後に発生した紀伊半島豪雨では、県道734号が寸断されとうとう中津川にはたどり着けなくなった。2013年現在も依然復旧していない状態である。

家からはみ出たマットには苔が生えていた。

足下を見ると、昔の物が転がっていた。

空き缶が古い。たしか幼稚園くらいまで、缶のフタは取るものだった。固くて開けづらかったのをかすかに覚えている。

見るからに昭和な形状をした水筒。いつからこの場所にあるのだろう。

レトロな柄の入った入れ物。化粧道具か菓子入れ?戦前の文化を研究するはむっちさんは「弁当箱かも」とのこと。

16:11

道は集落の奥まで続いていた。行き止まりには寺があるらしいが残念ながら未確認。
滞在時間わずか30分。もっとじっくり見たい所だが、日が傾き始める前に引き返したい(徒歩なので)。

廃墟部が立ち去った中津川は再び無人になり、夜をひっそりと迎えていたことだろう。
ただかつての住人が今でも小学校跡にも訪れているように、廃村となった今もこの場所を想う人がいる。

賑わっていた頃の中津川はどんな感じだったのだろうか。
つづきは次の資料編へ。

【斉藤ユタカ / 廃墟部】
[2017.10.6 校正]
参考文献・サイト
野迫川村史 野迫川村史編集委員会 1974
廃村と過疎の風景5 廃村千選Ⅱ-西日本編- 浅原昭生
「廃村 千選」~奈良県 廃村ひとすじ!HEYANEKOの旅心のページ
旧大塔村のあゆみ 五條市
開拓史(前編) 新十津川町
奈良県道路規制情報 奈良県

この投稿へのコメント

  1. こうじ said on 2015年4月29日 at 1:37 PM

    僕のいなかです。小さな頃は車の通る道もなくしたから歩いて登りましたよ。毎年5月にお祭りがあるので行きますがそれ以外は帰ることは無いですね

    • 斉藤ユタカ said on 2015年5月3日 at 3:35 AM

      こうじ様

      廃墟部の斉藤です。
      中津川ご出身の方からご感想を頂けるとは誠に光栄です。ありがとうございます。
      私が廃墟部で中津川に訪問したのはもう7年前になりますが、現地の静かな情景を今も忘れられずにいます。
      また、毎年奈良県南部で豪雨がある度に、この集落がどうなっているのかふと思うことがあります。

      集落までの車道は無かったのですね。
      言われてみれば、道の開通を記した村長(?)の石碑が道の途中にあり、
      日付がそれほど昔ではなかったことを思い出しました。

      毎年集落でお祭りが行われているのですか!
      お墓参りなどで、きっと個人的に帰郷されているのだろうと想像していたので驚きです。
      今もあの場所が賑わうことがあるというという事実に驚くと同時に、心を打たれました。

      今年もそろそろお祭りですね。
      よそ者がこのようなことを申し上げるのも恐縮ですが、
      今年のお祭りも上手くいくことをお祈り申し上げます。

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