奈良廃村紀行4 廃村中津川、歴史を辿る(資料編)

あとがき

中津川を後にして車へ戻り、大塔町方面へ県道734号を引き返していた時のこと。レンタカーにトラブルが発生した。
夕闇が迫る中、やむを得ずJAFに連絡することにした。しかし携帯は圏外。やむを得ず、固定電話を借りるため民家を訪ねることにした。
こんな旅の途中でお世話になってしまうのは心苦しいが、大塔町に住むTさんが快く受け入れてくれた。

JAFの人達を待つ間、Tさんがこの町のお話をしてくれたので載せておきたい。

ここは大塔で、今は五條市の一部だが以前は大塔村だったこと。こんな山奥でも病院の分院があって救急車が来るということ。ただ、五條市街地にある総合病院へのバスは本数削減の一方だという。
「合併で役所の若いもんは皆、街に出て行ってしもたんよ」
今では大塔で「若いもん」というのは60代を指すらしい。超高齢化社会である。こんな山奥での暮らしは大変そうに感じるが、Tさんはここが一番だと言う。
「街は狭苦しいし、ゴミだって燃やすこともできやしない」
都会と田舎のどっちが良いかは、一概には言えないのだ。

帰り際、Tさんからお土産にとみかん二箱(!)とカレンダーまで頂いてしまった。
本当にありがとうございました。大変なご迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした。

22:23 高野山

帰りは高野山経由のルートで戻ることにした。夜中の高野山は風がゴウゴウ言ってて不気味だった。
この付近によく見られる「高野」の標識が「たかの」じゃなくて高野山のことだと気付いたのはここだった。

下り道、走り屋と思われる車が藪に突っ込んでいた。
運転手は無事そうだったが、念のため警察と救急車を呼ぼうと近くの商店へ立ち寄る(携帯はずっと圏外なので)。
連絡のお礼にと、ここでもまたみかんをたくさん貰ってしまった。

あふれるみかん

この後橋本辺りで仮眠を取り和歌山市に出て、湾岸沿いを大阪へ北上。市内に帰還したのは翌日早朝だった。
「ちょっと奈良まで」行ってきただけなのにとんだ非日常だった。これがあまりにも濃すぎる奈良県南部との出会いだった。(のちに十津川村や下北山村方面へ訪れまくります)

最後になりますがお世話になったTさんご夫妻、JAFの方々に重ねてお礼を申し上げます。

■総移動距離:約381km(地図より推定)
【さい / 廃墟部】
参考文献・サイト
1 国鉄五新線跡に遭遇 | 2 廃村を探して | 3 廃村・中津川を訪ねて | 4 廃村中津川、歴史を辿る(資料編)

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