土倉鉱山2 土倉の歴史を辿る(資料編)

廃墟として

閉山後、出口土倉は廃村となる。鉱山で働いていた人達の多くは、秩父などの各地の鉱山へと去って行った。
杉野小学校土倉冬季分校は昭和41(1966)年1月に廃校となった。多くの建物は取り壊され、今では選鉱場跡だけが遺跡化して残る。なお、1996年頃までブロック住宅跡が廃墟として残っていたが、後述するダム工事に関連した金居原バイパス建設工事によって解体された模様。

鉱山の閉山は周辺の集落にも過疎化をもたらした。
1990年代には、全国最大規模の揚水発電所(※6) の建設計画が持ち上がり、地元に再び活気が戻るかに思えたが、電力需要の落ち込み等を理由に建設中止となった。

(※6) 揚水発電…上下に2つのダムを作り、昼間に水力発電で使用した水を下部ダムに貯めておき、夜間の余剰電力で水を汲み上げて再利用するもの。金居原では出力228万kWの「金居原揚水発電所」を建設するための準備工事が進められていたが、2002年に計画中止となった。2017年現在、国内最大規模の揚水発電所は兵庫県にある奥多々良木発電所(193万kW)となっている。
残り続ける土倉鉱山の記憶

さて、現役当時の処分場だった「横谷堆積場」では、今も経産省・滋賀県によって鉱毒の調査が続けられている模様(1995・中日新聞)。
鉱山は閉山して終わりではなく、50年が経過した今も管理が必要なのだ。

土倉鉱山を失い過疎化の進んだ金居原では町おこしの模索が続いている。
1994年から2000年代前半頃まで、金居原集落の有志によって鉱山跡にステージが作られ、野外音楽会「こすもすコンサート」が開かれていた。毎年、コンサートの日には地元の人達が集まり、廃村がかつての賑わいを取り戻すのだ。2001年のコンサートでは、家族連れやかつての鉱山従事者ら500人が集まり、地元小学生の合唱や高校生バンドの演奏、また14店にわたる模擬店が出店され、盛り上がった様子が当時の新聞に載っている。

また、奇しくも閉山によって、鉱山の廃墟としてインターネットで知られるようになり(僕もそれで知った一人でした)、廃墟を撮影目的とする人やコスプレイヤーが全国から訪れるようになった。
金居原の人々は「県内外から訪れる廃墟を巡っている人らに分かるように」と現地付近に案内板を設置。また、選鉱場跡へ至る旧道では倒木を撤去する作業もしているという。
地元の方(76)は、産業遺産として地域活性化に繋げられないか、また、社会見学の場として後世に伝えて行けたらと述べられている(中日新聞・2012)。

多くの建物が取り壊され、選鉱場跡も遺跡レベルと化した今、在りし日の賑わいを想像することは難しい。しかし、幸いにも土倉を故郷とされる方が、現役時代の鉱山や従業員の生活風景をカメラに記録しており、ネットでも見ることができる。どれも愛が感じられる写真ばかりである。
⇒参考(e-konの道をゆく ~わがふるさと、土倉鉱山~)
また、現在長浜市立となった杉野小中学校では、2016年に奥土倉へ社会見学に行ったことがブログに載せられている。土倉の記憶が次世代へと受け継がれている。
⇒参考(杉野小中学校「土倉鉱山を勉強しました」)

滋賀県の山奥に県内唯一の銅山と町があったこと、そして今もこの地を故郷として大切に想う人々がいることを胸に留め、廃墟部訪問記としておきたい。

あとがき

土倉鉱山を後にして木之本町を車で走っていると、無残に切り刻まれた古いバス車体の残骸が目に入った。思わず車を停めて近づいてみる。

バスの残骸

元の姿は不明

モノコックバス好きの鷹輔氏にとってはショッキングな光景である。

さて、この後木之本町を出た廃墟部は、120km離れた舞鶴まで何故かドライブしていた。軽自動車でふと立ち寄る距離じゃない。
国道9号を通って京都市内に帰還したのは、深夜2時を回った頃だった。

■総移動距離:約416km(地図より推定)
【斉藤ユタカ / 廃墟部】
参考文献・サイト
富田八右衛門『近江伊香郡史 中巻』(江北図書館,1953)
富田八右衛門『近江伊香郡史 下巻』(江北図書館,1953)
滋賀県統計協会伊香支部『伊香大観』(1955)
日窒鉱業株式会社土倉鉱業所『土倉鉱山概況』(1958)
丸菱地図出版部『木之本町全図 滋賀県伊香郡』(1964)
日本交通公社『国鉄監修 交通公社の時刻表』1964年9月号
滋賀県史編さん委員会『滋賀県史 昭和編 第四巻 商工編』(1980)
『日本歴史地名体系 第25巻 滋賀県の地名』平凡社(1991)
『目で見る湖北の100年』郷土出版社(1991)
彦根市史編集委員会『新修 彦根市史 第2巻 通史編 近世』(彦根市,2008)
中日新聞「戦後50年(6) 土倉鉱山 700人のまち、31年で消える 発電所建設計画にかつての活気期待」1995年8月11日朝刊(滋賀・14頁)
中日新聞「さざなみ 野外音楽会に住民の心意気」1997年11月28日朝刊(滋賀・18頁)
中日新聞「無人の鉱山跡で演奏会 木之本 全盛期のにぎわい願って」2001年10月29日朝刊(滋賀・15頁)
朝日新聞「(週刊まちぶら あなたの街から)杉野川流域を訪ねて 鉱山の遺構、夢の跡/滋賀県」2009年11月15日朝刊(滋賀・29頁)
中日新聞「湖国2012 長浜・土倉鉱山跡 住民が整備 廃墟で町おこし期待 道の木伐採、案内板設置も」2012年7月15日朝刊(滋賀・20頁)
毎日新聞「近江・ひと・まち歩き:長浜・旧杉野村 代々つながる心遣いと風景/滋賀」2015年2月11日朝刊(滋賀・21頁)
土倉鉱山跡 e-konの道をゆく(2018.1.14参照)
異風者からの通信 よみがえる土倉鉱山の記憶(2018.1.14参照)
江州ぶらぶら探訪録 土倉鉱山の歴史(4)(2018.1.14参照)
江州ぶらぶら探訪録 土倉鉱山の歴史(5)(2018.1.14参照)
白川雅一 土倉鉱山での災害 滋賀県(2018.1.14参照)
不毛企画 乗り物館 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録【513】米原線(2018.1.14参照)
高時村だより 金居原の奇妙な地形(2018.1.14参照)
長浜市立杉野小中学校 杉野小中学校沿革(2018.1.20参照)
長浜市立杉野小中学校 土倉鉱山を勉強しました(2018.1.21参照)
経済産業省 資源エネルギー庁「出力の大きい発電所トップ10」(2018.1.14参照)
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