土倉鉱山1 残雪の鉱山跡へ

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2009年2月6日

FMトランスミッターで繋げたiPodのBGMを背に、琵琶湖西岸のバイパスを北上する。
行き先は木之本町(※1)の山奥にある、土倉鉱山跡である。

(※1) 木之本(きのもと)町…現在の長浜市の一部。廃墟部訪問の1年後(2010年)に長浜市へ編入合併され消滅した。
滋賀県の岐阜県寄りに位置する土倉鉱山

今回の廃墟部は助手席に鷹輔さん、後部座席にゆ◎さん、そしてハンドルを握る僕の三人だ。
鉱山好きのはむっちさんは補講だったかバイトだったかで予定が合わず、残念ながら来れなかった。
京都駅前のマツダレンタカーで借りた軽で、残雪の鉱山跡へ向かう。

12:09

三人で他愛のない話をしながら木之本の市街地を走行していると、ふいに古びた歩道橋が目に入った。
道路を跨ぐだけの歩道橋なのに、年季の入ったごついシェルター。なんだこれ。思わず車を停めた。

今見るとそうでもないがこの時は興奮した

雪国仕様だろうか。滋賀県は北部と南部で気候が違い、北部は豪雪地帯に指定されている(旧・余呉町は特別豪雪地帯である)。
よく冬場に東海道新幹線が大雪で遅れるのも、滋賀県北部(伊吹山)の影響が大きい。
大雪シーズンには、ここ木之本も凄いことになるのだろうか。
滋賀の持つ意外な一面をチラ見してしまったが、これから向かう土倉鉱山はどんな感じになっているのか、期待と不安が入り混じる。車で行ければいいのだけれど。

木之本町の市街地から離れ、国道303号で山奥へと車を進める。山間部が目的地なのは廃墟部恒例である。
滋賀県って一見、琵琶湖が県の半分くらいを占めているように見えるが、琵琶湖の面積が滋賀県に占める割合は6分の1。意外と山深い地域も多くあり、中には廃村も存在する。

▼余談です
個人的に言えば、滋賀は工場のイメージがとても強い。
学生時代、単発のアルバイトに登録していて、たびたび滋賀の工場へ派遣されていたからだ。
ある時、日野の人里離れた工業団地にある印刷工場に派遣されたときは、人生で一番の重労働を体験することになった。

集合場所は草津駅前。同じ工場へ向かう男8人くらいでバンに乗り込み、深夜の工場へ運ばれる。
工場に着くと順番に並ばされ、佐○の社員に配置場所を指示される。
「お前はここ」
僕の配置場所は、ベルトコンベアから流れてくる通販のカタログを、せっせとダンボール箱に積み込む所だった。
作業内容はそれだけなのでいたって簡単なのだが、たかが紙と侮るなかれ。紙は束になるとめちゃくちゃ重い。
それなのに担当場所の交代などなく、一晩中つづけるわけ。
作業でペアを組んでいたハゲのおっさんは、あまりの重労働に耐えかねて、佐○の社員に「何とかならへんか」とぼやくと
直後に「黙れ!」と怒鳴られていた。
おっさんと励まし合いながら一生分のカタログを持ち上げては積み込む。朝方には固い絆で結ばれていた。
着ていたTシャツは汗でじっとり重くなっていた。そんな思い出。

ちなみに日雇い派遣の実態は、中沢彰吾氏の中高年ブラック派遣 人材派遣業界の闇 (講談社現代新書)が詳しい。
東大卒、毎日放送の元記者が身分を隠して潜入取材しており、ブラックな単発派遣あるある話が懐かしい。

国道303号旧道へ

話が大きく脱線してしまいましたが、車は山奥へ。
長いトンネル、山あいに昔ながらの家が立ち並ぶ金居原集落を抜け、旧道への分岐に差し掛かった。

(A地点)右に分かれる道が国道303号旧道。ストリートビュー(2012年撮影)では、分岐点に土倉鉱山の看板が確認できる。

(A地点)国道303号旧道側より分岐点を振り返る。廃墟部での訪問当時、ストリートビューの看板は未設置だったことが分かる。

土倉鉱山跡は旧道の途中に存在するが、冬期は車両通行止めになっており塞がれていた。車はここまで。
ここから歩いて行ける距離だったかな…。
以前に一人でバイクに乗って訪問したことがあったが、どれほどの距離だったか忘れた。
念のために場所を確認しようと、トランクに積み込んでいたノートPCを起動してみる。
イーモバイルは余裕で圏外だった。携帯も全くだめ。(まだiPhoneがなかったのは時代ですね)

12:48

旧道を歩く。かつて国道だったとは思えないほどの幅の狭さだ。
なお、金居原バイパスとして機能している現道は崖の上(左上に見えるフェンスのあたり)に沿って通っている。

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